インドネシアでボートトリップと言えば真っ先に頭に浮かぶのはメンタワイ諸島であるが、
私、個人的には北スマトラバニャック諸島にあるトレジャーポイントがインドネシアNo1ライトじゃないかなと思っています。
但し、あくまで “アマチュアサーファーにとっては” と但し書きが付きますが。
バニャック諸島?いったい何処それは? 聞いた事のない方が殆どかも知れません。
北スマトラのニアス島とシメルー島に挟まれて点在する島々を総称してバニャック諸島と言います。
そこにライトブレイク最高峰のトレジャーポイントがあります。
トレジャーは外洋からの力強いグランドスウェルが半島の側に沿って 湾の内側に回り込むように入りブレイクします。
そしてアウトサイドにはそれこそCT選手が涎を流すような強烈で極上の波が 大きく口を開けたまま何百メートルも完璧なチューブを作りだすインジケーターというポイントがあります。
半島の裏手にはチュービーなレフトのコブラポイント、そこから少し移動すればベイオブブレンティと呼ばれる湾があり手頃なライトとレフトが味わえる。
ではそれだけ波がいいのだから混んでいるでしょう?と誰もが考えるのが当然かもしれませんが実は運が良ければ他のボートに会うことは無く 仲間内だけの貸切セッションとなります。
何故か!実はメンタワイ諸島と比べてアクセスが楽ではないからです。
メンタワイは西スマトラのパダン空港が玄関口で、空港はスマトラ島の西(インド洋側)に位置し、メンタワイ諸島へ向けて出港するボートが停泊している港までは平坦で舗装された道を約1時間も走れば到達する。
一方、バニャック諸島へはスマトラ島の東側にあるメダンクアラナム国際空港が拠点となる。
そう、メンタワイ諸島やバニャック諸島へ渡るにはスマトラ島の東から西へジャングルを横断しなくてはならないのです。
これがまた半端ない苦行のような道のりで途中、インドネシアが誇る世界最大のカルデラ湖 “トバ湖” を通過していくのだが、巨大ゆえに走っても走っても その湖の姿はずっと我々の視界から消える事はなかった。
ここは標高が高く避暑地のような場所で、その昔はスマトラ最大の観光地として国外からも 多くのツ-リストが訪れていたが、時代は流れ、既に閉館している宿やお土産屋などかなり寂れていた。
15分程休憩をとり先を急いだ。 この時点でメダンを出発してから楽に6~7時間は経過していただろうか、ここから険しい峠を越えてスマトラ島西海岸を目指す。
我々が目指すのはバニャック諸島であるが、経由地となるニアスで『NIAS OPEN』というコンテストが明後日に開催されるという情報が入ってきた。 しかも賞金が出るらしい。
ソラケのパーフェクトウェ-ブを選手だけで貸し切れるし、旅の思い出にもなるので出場しようという事で話はまとまった。
目的地のシボルガ港に着いた頃にはすっかり夜も更け日付けが変わる頃だった。
結局、15時間強の大移動となり心も体も疲れ果て『NAULI』号へ乗り込んだ。
翌朝、ソラケビ-チに到着するとものすごい人だかりで、音楽が鳴り響き、戦士のようないで立ちの男性、民族衣装をまとった女性の姿も多くみられる。
政府のお偉いさんも参列していることからかなり大きなイベントであることが想像できる。
そして、肝心の波の方は何とセットで6 to 8 feetと炸裂していた。
大会スタ-トは明日だが、緊張が走る。
翌朝、波のサイズは下がることなくビッグウェ-ブが打ち寄せるハードなコンディションの中、試合がスタ-トした。
正直、賞金をガッポリいただいて旅の最終日はメダンの街へ繰り出し大宴会を企てていたがその目論みはニアスローカルによって打ち砕かれた。
彼らにとっては生まれ育った土地でありホームポイントだ、波の癖を知り尽くしている。
チュ-ブライドはお手のもので次々と深いポジションからフルスロットルでスピッツと共に抜け出てくる。
見事に返り討ちに会ってしまったが、完全アウェイの中、何とか今須伸政プロが5位入賞を果たし賞金をゲットした。
表彰式が終わると直ぐにバニャック諸島へ向け船を走らせた。
バニャクではスウェルも落ち着きファンサイズのマシ-ンウェ-ブが我々一行を待っていてくれた。
期待通りライトもレフトも綺麗な波が棚にそって毎日毎日規則正しくブレイクを繰り返し至福の時を過ごした。
航海中、我々の女神『M.V.NAULI』号以外に他のサファリボ-トが現れることは無かった。
バニャックからの帰路立ち寄ったヒナコ諸島では再びビッグスウェルが炸裂していた。
恐るべしインド洋北スマトラ。
*最近はメダンからフライトでニアスへ渡り、空港がある北の港からバニャック諸島へ向かうアクセス手段が一般的のようで時間と労力は大幅に改善されたようである。